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  • 2019/10/19 その他

    建町90周年記念懇親会

祝辞

わがことではありますが、六麓荘成立90周年をお祝い申し上げます。

ご出席の方へ


 本日ご参集の方は、古くから六麓荘にお住まいの方もおいでですし、まだお住まいになって日の浅い方もおいでかと思いますが、ようこそ六麓荘にお住まいくださいました。この六麓荘で生活しておられることをお慶び申し上げます。

そもそも芦屋はむかしから住みよいところでした。朝日ヶ丘町では6千年前の縄文遺跡があります。会下の山には国史跡指定文化財の弥生遺跡があります。ちょっと古い話すぎました。もっと最近の話にしましょう。

 六麓荘のずっと南に親王塚がありますが、平成(ヘイゼイ)天皇の皇子の阿保親王のお墓だと言われて宮内庁が管理しているところです。その子、在原業平は伊勢物語のモデルと言われているプレイボーイだったとそうです。彼も芦屋に住んでいました。貴族が住むには平安の都、京都から遠いようですが電車も自動車も無くても十分行動範囲は広かったようで世の中に たえて櫻の なかりせば 春の心は のどけからましは、枚方で歌った歌ですし、神戸の布引の滝にも気軽に行ってました。そうそう、万葉集にも、莵原處女(ウナヒヲトメ)という葦屋(アシノヤ)の處女(ヲトメ)の話が出てきます。

 さてその後は交通の要衝ながら普通の田園だった芦屋ですが、鉄道ができたときに大阪の大商人が職場から離れた家を建て始めました。大阪や神戸が発展し、粉塵と衛生の問題が酷くなるにつれ阪神間の住宅地が整備されます。文化的にも、関東大震災で東京から人と文化が流れこみ、ロシア革命や第一次大戦などで神戸や大阪から外国文化が入り、関西・東京・外国の文化が融合します。新しい文化が栄えるとともに文化人も増え、付加価値がついた住宅地が産まれました。たとえば、甲子園にはホテルやテニスコートなどが付いた住宅地、雲雀丘住宅地には電車の駅が作られました。六麓荘はそのような超高級住宅地の開発ブームの最後となった住宅地です。六甲山麓の地形そのまま活かした敷地配置と自動車を前提にした広い道路、電線の地中化、自動点灯の街路灯、自営の水道、電車の駅からのシャトルバス、ローラースケート場や運動場などの遊園地なども整備されました。

 芦屋市は「国際文化住宅都市建設法」という法律で健全な住宅都市化に力を入れていますが、精道村時代から住宅地開発に力を入れてました。このサロンド・タカ付近の一体も芦屋川河川敷を整備して精道村が開発した住宅地です。実は六麓荘町の一帯が国有林から公売にかけられたときに精道村も入札していました。結果は、今の六麓荘を開発した人たちが落札したものです。昭和3年4月20日。

 その後に開発会社が設立され、今年が90周年となりました。住宅地は、昭和時代後半には人口増加や核家族化の時代に即してニュータウンが続々と作られましたが、数は増えても質的には進歩がありませんでした。芦屋市の新しい町、南浜町の住宅地は電線も無い一戸建て住宅街で、緑もあり、個性ある建物が並んでいるのですが画一的な敷地の為かやはり人工的な景観でココロにしっくりとこない雰囲気です。そのような観点からも、坂道が多く、迷い易い道路ばかりですが、六麓荘町は創設以来の質の高さを誇っている素晴らしい街だと思います。皆様もぜひ誇りに思って、自慢してください。

最後に
 この住みよい芦屋、なかでも環境に恵まれた六麓荘。せっかくお住まいなのですから、六麓荘に住んでいるというだけではなくご自身で六麓荘を堪能していただくことをお勧めします。町内の街並み家並みを見るのも良し、ご自宅からだけでなく辻々から下界を見下ろすのも良し(つい下界と言いましたが、平野部の街並みです)ご自宅だけでなく、道路も町民の所有物です。ご自宅だけでなくから六麓荘町すべてを楽しんでいただきたいと思います。言いづらいのですが、六麓荘を愛してください。さらには、町内会と共に一緒に良い町にしていってください。